江南神社の歴史
明治二十二年屯田兵第一大隊第四中隊が篠路兵村に入植して、多くの苦難と闘っていたが、屯田兵とその家族の団結と協力のよりどころとなり、心の支えとなったのが、この神社であった。
明治二十四年の夏、屯田兵が入植して二年目、中隊本部の北側にひとつの祠が建って同年七月十五日の入植記念日には、中隊長をはじめ篠路兵村屯田兵二百二十人とその家族が参列して、初めての式典をおこなった。
明治二十九年の日清戦争が終わった翌年、出征した屯田兵が戦場に至らぬ前に終戦となって無事帰還できたのも神の御加護によるものとして大社造りの社殿を新築し、神社名も正式に江南神社と決めた。「江南」の語源は篠路兵村入植の当時は、石狩川の本流が現在の茨戸川であり、茨戸、花畔地区を貫流していたことから、誰となく川の南、江南という地名が生まれ、石狩川の南岸に位置する神社として「江南神社」と命名された。
江南神社の社史を顧みると、明治四十三年神社本庁は江南神社を村社に昇格、大正四年神社の紋章として五七の桐の使用許可を得て、以来江南神社の紋章とした。
昭和十年、社殿の老朽が激しいことから、造営の気運が高まり新社殿を建設した。
昭和五十三年、開基九十年を迎えた屯田は、記念事業として江南神社の造営に乗り出し、九十年協賛会の事業として神社造営建設委員会を設置し、新社殿、手水舎、社務所、開基九十年記念顕彰碑の建立など一切の工事が完工し現在に至る。
境内案内
鳥居
絵馬
屯田開基九十周年
記念顕彰碑
屯田地神碑
手水舎
手水舎
望郷のアカマツ
御祭神